カレンダーガール

田中秀和コード備忘記事3つ目。
作曲・編曲:田中秀和
アイカツ!第1話 - 第25話ED

Aメロ (E major key)
IIm7 V7, IIm7 V7, IIm7 V7, IIIm7 VI7
IIm7 V7, IIm7 V7, IIm7 V7, IIIm7 VI7
Bメロ (E major key)
IV, VII, IIIm7, VI7, IIm7 IIIm7, IV II7/#iv, V IV/vi, Vm V7
サビ (E major key)
I, VIIm7-5 III7, VIm, Vm I7, IV IIIm, IIm V7, IV IIIm, IIm V7
I, VIIm7-5 III7, VIm, Vm I7, IV, IIIm VI7, IIm II7/#iv, V7
3曲聴音してみた時点で思うのは、VIIm7-5 III7好きだなということ。

オリジナルスター☆彡

研修に行ってるだけなのになんでこんなに暇がないのか。毎日コード聞き取ろうと思ったのに毎月になってる。自分用備忘録。聴き取った箇所増やして追加していきたいけどやらないだろうなあ。
作曲・編曲:田中秀和
アイカツ!第51話〜ED

Aメロ (C# minor)
I, bVII, bVI, IVm Vm bVI bVII Im bII△, I, bVII, bVI bVII, I
Bメロ (E major)
IV IV/v, IIIm bIIIdim, IIm7 V7, I, IV IV/v, IIIm VIm, bVII, V7, IIm7 V7
サビ (E major)
I, IV, VIIm7-5 III7, VIm bVIaug I/v #IVm7-5, IV V, IIIm VI7, IIm II7/#iv, V7 IIm7 V7
I, IV, VIIm7-5 III7, VIm #IVm7-5, IV V, IIIm VI7, IIm II7/#iv, V7, I
骨格はIV V IIIm VImとVIIm7-5 III7 VImとI bVII bVI bVII Iという日本のアニソンとしてはベタな進行なんだが細かい所のこなれ感が充実してる。あとキメのスケールも研究したい。

Angel Snow

アイカツ!は音楽を挿入歌含めてMONACAが担当していて俺好みのアイドルポップスの宝庫だということに気がついた。分析的に聴いて技を盗みたいと思う。
とりあえずこの曲のコードを聴き取ろうとしているのでこの記事はそれをメモするための自分向け備忘記事。気が向いたら聴き取り箇所が増える。
作曲・編曲:田中秀和
アイカツのステージ曲

Aメロ I, Vm7 I7, IV IIIm IIm, bVI bVII
サビ IV V, IIIm VIm, VIIm7-5 III7, VIm bVim Vm bVm, IV VII7, IIIm bIII, IIm7 V7, Isus4 I
この曲はまず歌詞がいいなと思ったんですが。「初雪記念日のキスしちゃおう なんてね」「ぐるぐる巻きのマフラーがかわいいとか思っちゃったの内緒だよ」80年代を生きたおっさんが書いたんだろうなあと思ってたんですが,歌詞書いたのおばさんだったようですね。
アレンジ的にはヨドバシカメラのテーマソングのドラムとベースですね。こういうの何て言うのかご存知の方はコメントか何かで教えてください。
この曲は全ての要素を全部盗みたいなあ。チューブラーベルの使い方とかハープの使い方とか。iPhoneでハープのガチなアプリが出た時はハープなんて何に使うんだと思ってたんですが,こういうのに使うのか。

資格試験に合格したという話

何の資格かということを書くと……何の資格かを伏せたまま、何の資格かをここに書くことにどういうリスクがあるかを説明するのは難しいが……まあ、一応ここにも報告しておくことにした。
なんで合格したかというと持病のメカニズムがおおまかに判明し持病をコントロールする技術を身につけたからだし、逆に言うとその技術を身につけられていなければまた落ちていたし、それを身につけたのは受験制限期間的にギリギリの時期だったし、本当に間一髪で助かった。

ボカロに興味がなくなったという話

ボカロに興味がなくなったということを一応書いておく。
原因は2つある。

1つめ。
俺は2013年1月6日にこう書いた。

よくボカロのヒット曲は「全部同じ曲に聴こえる」と言われるが、これは音楽の諸要素自体とヒットとの間に密接な関係がある一つの(有力かどうかはわからないが)証拠だ。そこにおいて音楽の要素に何らかの意味があることがほのめかされれば、後はその要素がその社会の中での人々の身体とどう結びついているかを考えれば、音楽の要素と身体との関係が見えてくるはずだ。ニコニコ動画の自由競争システムがいつまで続くかわからないが、音楽の流行を自由競争によって作り出すことでリスナーの身体と音楽の諸要素との関係を人類史上初めて可視化したのがニコニコ動画だと俺は思っている。
http://d.hatena.ne.jp/knowsur/20130106/1357501201

ところが、俺が2013年6月4日にまとめた次のマイリストでは制作者がほとんど2011年に有名になった人で占められている。
2012年9月〜2013年5月ボカロオリジナル再生数50万以上リスト(2013年6月4日現在) ‐ ニコニコ動画:Q : http://www.nicovideo.jp/mylist/37350011
これを見て俺はニコニコ動画の自由競争システムが終わったと思った。つまり、大量の無名のものからそのコンテンツの内容によって少数の有名なものを選び出すアルゴリズムがもはや機能していないと思う。
何が言いたいかわかりにくいと思うのでここから俺の憶測を付け加えるけど多分、今はTwitterや商業媒体の広告力が大きすぎてニコニコ動画のランキングの広告力が負けてるんだと思う。つまり、「何かいい動画上がってないかなー」と思ってニコニコ動画のランキングを見て動画に流れ着く人より、Twitterで既にフォローしてるPがツイートする動画URLをクリックしたりTSUTAYAでCDを借りたり雑誌でインタビュー記事を読んだり書店で曲のノベライズ・コミカライズを見たりして動画に流れ着く人の方が圧倒的に多いんだろうと。そうすると例えばカゲロウデイズで起きたような、無名のものがいきなり大ヒットするという現象が起こらなくなる。すると楽曲構造と伸びとの間の関係が間接的になる。すると楽曲構造と伸びとの関係を観察する遊びができなくなる。

2つめ。
Naxos Music Libraryhttp://ml.naxos.jp/ )のおかげで無職でも現代音楽が聴けるようになった。そっちを聴くのに忙しくて他の音楽を聴いてる暇がない。

【7月8日10時半頃追記】
「1つめ」は、「楽曲構造と伸びとの関係を観察する遊びができなくな」ったからそういう遊びをしていた「俺」がその点ではボカロに興味がなくなった、という話であって、ボカロ曲やボカロ界隈が客観的につまらなくなったという話ではない。
Naxos Music Libraryは最近までNaxos(クラシック系の廉価CDレーベル)の音源を配信しているだけかと勘違いしていたが、そうではないことを最近知ったので最近契約した。
【7月8日11時過ぎ追記】
2011年は「同じような曲が伸びる」状況があってそれを観察するのが面白かったが、今はそうではなく「同じ人の曲が伸びる」状況になっているから観察しても面白くなくなった、というのが「1つめ」の話だ。ホッテントリに入ったためかクラスタの外にまで読まれているようなので、少し補足した。
【7月8日11時半頃追記】
「ボカロ」と「ニコニコ動画」の関係については俺はこういう立場に立っている。

「良いものは良い」がどう嘘か

誰かにとって良いものが他の誰かにとっても良いとは限らない。
牛にとってフォアグラは価値がないし男性同性愛者にとって蒼井そらのヌード画像は価値がない。俺にとって巨乳の美女は特に価値がないし、あなたにとっては貧乳女性がおしっこで濡れたキュロットを穿いて立っているだけの画像におそらく価値はないだろう。
これは主体のアイデンティティに関わるというよりはその主体の置かれた状況に関わる。牛はフォアグラを必要とする体を持っていない。俺も賢者タイムにはおしっこで濡れたキュロットを必要としない。深夜アニメが大学4年生のAさんにとって価値があったが新入社員のAさんにとっては価値がなかったというような例はTwitterでよく目にする。この場合深夜アニメは「Aさん」という主体にとって価値があったのではなく「大学生」という状況にとって価値があったのだ。
音楽において誰にとって良いかを論じるのはすなわち音楽をリスナーの側から論じることだ。そこでは「良さ」は必ず「誰かにとって」という相対的なものでしかない。そしてその「誰か」に代入されるべきものは主体でなく状況だ。
音楽を生産の側から論じ「○○は10年に一人の天才だ」とか「○○が全てを変えた」とか言うのはこの「誰にとって良いか」の部分を隠蔽するものであり、おそらくある種のリスナー(例えばロックファン)を正しい価値観の人間と捉えもう一方である種のリスナー(例えばアイドルファン)を誤った価値観の人間と捉える世界観を前提としている。その世界観に俺は与しない。
和声や対位法の教科書には禁則が列挙されているが、その音に絶対的に価値がないから禁則なのではない。何らかの社会的な背景を前提としたある特定の様式において、その音が様式を破壊し社会の需要から逸れる可能性があるというのが禁則の意味だ。つまり音楽の理論について考えるならその理論において示される諸価値が「誰にとっての価値か」を離れることができない。
一つ前の記事で書いた「音楽の流行を必ず消費の側から考えている」というのには以上のような背景がある。補足しておく。
……文章書くのって難しいな。そもそも最近は文章読んでもないしな。

俺がボカロのヒット曲について考える時に前提としていることがよく誤解されている気がするという話

Twitterでボカロ曲の流行について書くと面白がって読んでくれる人がいる。しかしその面白がってくれる人は必ず同じ原因により俺の言っていることを完全に誤解しているような気がしてきた。
少なくとも今までの俺は音楽の流行を必ず消費の側から考えている。例えばビートルズについて考えるならビートルズのメンバーが何を思って何をしたか彼らの音楽がどう優れているか等については(第一次的には)考えない。当時の英国社会さらに当時の西側先進諸国があの音楽を必要とする前提として、当時どういう社会構造の変化がありその変化の一つ一つが音楽自体の諸要素のうちどれを要求したのかを考える。俺の関心は音楽を分析したときに現れる諸要素と身体との結びつきなので、音楽の社会的流行について考える局面では対象となっている社会全体の中で人々の身体に対する諸制約がどう変化したのかを考えることになる。
俺が「高速ボカロック」にことさらこだわっているのは上記の問題を考えるに当たって格好の材料となるからだ。いわゆるJ-POPの場合は競争が阻害されている。広告を打ち他業種の商品とタイアップしアーティストがテレビ番組でお笑い芸人と面白い話をし、ファンを獲得する。それで初めて可能になる種類のエンターテインメントがあるのは理解しているし90年代には俺もそれを楽しんでいたが、この構造における音楽の流行においては音楽の諸要素と身体との関係が前面に出ない。よくボカロのヒット曲は「全部同じ曲に聴こえる」と言われるが、これは音楽の諸要素自体とヒットとの間に密接な関係がある一つの(有力かどうかはわからないが)証拠だ。そこにおいて音楽の要素に何らかの意味があることがほのめかされれば、後はその要素がその社会の中での人々の身体とどう結びついているかを考えれば、音楽の要素と身体との関係が見えてくるはずだ。ニコニコ動画の自由競争システムがいつまで続くかわからないが、音楽の流行を自由競争によって作り出すことでリスナーの身体と音楽の諸要素との関係を人類史上初めて可視化したのがニコニコ動画だと俺は思っている。
その消費に着目する見方で俺が考えて書いたツイートを生産に着目する見方の中に位置づけて見たときに根本的な誤解が生まれるのではないかと思う。
……書いてみたら音楽理論と身体との関係についてのあたりで論理が飛躍している気がするが、140字を超える文章を書くのが久しぶりだからもう諦めよう。
【追記】まず自分が誤解してたなと思う。他人と話をする時にはそのままの前提で語ってはいけないということを。