現代の長い歌

Fela Kuti "Monkey Banana / Excuse O" 聴いた。
フェラ・クティのアフロビートっていう概念がどんな内包を持つのかよくわからんが、拍の表を鳴らす楽器が多いな。それでも、いや、それだからこそ(表で落ち着く確実な安心感によって)、裏で体が浮いてしまう。これがアフリカ的なリズム感なのかな。
しかし、河内音頭とアフロビートは似てる。
日常的に毎週末やるってところがポイントだろう(河内音頭は夏しかやらないが)。その意味で、70年代マイルスはやっぱり全然邪道だと思う。