寝すぎて生まれ変わった気分だ

ディアマス行けなかった。寝てた。まあそりゃそうなるわ。
さっき本屋でぼーっと棚を眺めてると、男性週刊誌が目に入った。
女を女だというだけでカテゴリカルに下に見る視線を前提とした文字列が並ぶ。
こうした社会の視線をかわす手段として若い女がよくとる戦略として、その視線の主体である男を(主体である現実の男が誤解しているその誤解に準拠するという無難な方法によって)「人間」と読み替えて自己をその人間として位置づけることによって、下でありつつも上でもあるという地位を獲得するというものがある、ように見える。
サディストでないし仕事のストレスを抱えているわけでもない俺はその若い女の仕方なく採用する戦略を再び男としての自分の中に内面化することによって、社会の構造的な性暴力に2回ズレつつも加担することが心理的に可能になる。2段階で間接化しているから、両段階がともに周到でなければなかなか安心できないのであって、まずは第一段階の若い女の「人間=男化」の出来にかかっているのであり、その局面において俺は若い女の男リテラシーに無謀なハイクオリティを求める。そういった仕方で、俺は若い女を抑圧し罵倒して生きている。
何を言っているかわからねーと思うが。