川があった

四国の奥の方に行ってた。

義務教育以外で楽器をやったことのない友達の車で行ってたのだが、途中で気がついた。この人は、ヴォーカルの音量と音程と表情をごっちゃにして認知している。そして、音楽の中のそれ以外の要素を認知していない。楽器やったことない人にカラオケ指導していると感じるもどかしさの原因はおそらくこれだ。そして、ポップミュージックで売れるということは即ち、この層へアピールするということだ。
そしてボカロの大半の曲には表情が無いし音量もほぼ一定だ(というか不自然な音量変化を誤魔化すためにコンプで一定にするのが楽師の基本作法だ)。すると、ボカロのリスナーは「この友達」とは確実に違う認知の仕組みで音楽を聴いている。逆に言うと「この友達」の認知の仕方で音楽を聴いていたら、ボカロ曲はノイズにしか聴こえないはずだ。ボカロのアンチがよく「こんな電子音に感動するとかおかしい」とか言うが、このアンチは「この友達」の認知で音楽を聴いているのだろう。
話がここで止まるのが90年代だ。10年代の話はここから始まる。即ち、楽器をやったことのないボカロのリスナーはどういう認知の仕組みでボカロ曲を聴いているのか?というのが問題だ。元々「インストが聴ける層」がボカロを聴いているだけかもしれないし、ボカロ以前に存在しなかった新しい音楽認知の作法を獲得したのかもしれない。中高生の間で後者の認知が発生しているような気がする。
今の20代後半以上のボカロのリスナーでインストを聴かない人はキャラ萌えで聴いてる気がする。しかし、今の中高生のボカロリスナーは多分キャラ萌えはしていない(動画の伸び方を見ていて思う)。しかし彼らがボカロ以外のインストを熱心に聴いているわけでもなさそうだ。すると、何故ボカロ曲を聴くのか?歌詞があるからか?それだけなのか?
この問題は今後しぶとく考えていきたい。俺が今後どういう音楽をやるかに直撃する問題だ。
「この友達」に聴かされたJ-POPに浸された俺の脳を解毒するために今ネットラジオ聴きまくってる。前からいろんな所で言っているが、俺が一番気に入ってる局がここ↓で
Houseradio | Deep and Tech house radio | 24 hours a day deephouse and techhouse
http://www.house-radio.com/
今もここを聴いているし、最近ずっとここを中心にいろんな局をiTunesで回ってる。のでCDあんまり聴く気にならない。TSUTAYAで探すより気分にジャストな音楽が聴けるし。