アルバム "NANA WODORI" リリース

イギリスの微分音専門ネットレーベルSplit Notesからアルバム"NANA WODORI"をknowsur名義でリリースしました。
http://split-notes.com/spnt004.php
クロスフェード動画を聴けば手っ取り早いかもしれません。

14平均律上の7音等間隔音階をダイアトニック・スケールとする旋法、という解釈で全曲を構成しています。14平均律上の音とiELECTRIBEの音しか出てきません。6曲目には鏡音リンをメインヴォーカルに使いました。
公式の説明文が長いとリスナーに「読まなきゃいけない」というプレッシャーを与えてしまうと思い、そこでは簡潔にまとましたが、ここでは私的に好きなだけ説明してみようと思います。私がこの音律にこだわる理由は3つぐらいありまして、それぞれ解説します。

  • (1)アフリカ

坪口昌恭論文『アフリカ音楽分析 : ジャズのルーツとしてのポリリズムと音律』 http://ci.nii.ac.jp/naid/110006667538 等の影響。これを踏まえてフェラ・クティの歌なんかを聴くとたしかにピタゴラス音律・三分損益法を基本とするユーラシアの音律とは違うものを脳内で参照しているように聴こえる。この感じに惹かれた。

私は新ウィーン楽派の音楽が大好きなのだが、新ウィーン楽派は12平均律上の12の音を平等に扱おうというドグマを持っていた。部分部分で音相互の関係性で音が意味付けられることがあるとしても、長期的には音高が主音や属音といった一貫した属性をまとうことはない。新ウィーン楽派のこのドグマは、12音等間隔音階というツールを使って実現された。
しかし、私は考える。このドグマは等間隔音階であれば平等に実現できるものであり、しかももっと分割単位の大きな音階を使えばより世俗的に親しみやすい音楽が実現できるのではないか?と。音階の基本は7音音階である。ならば、7音等間隔音階を使えばこのドグマと世俗性とを結合することができるのではないか?と。もっともこれは最初から考えていたことではなく、(1)の影響で7平均律をいじりはじめてから気がついたことである。
ただし、後期ロマン派からの流れを考えれば、新ウィーン楽派の12音等間隔音階は「12音からなる全音階」ではなく「半音階」である。私の7音等間隔音階(平等な7音を全音階として使う)との違いはこの点において顕著である。

  • (3)周波数比の複雑な音程への偏愛

これが最も根本的な理由であり、かつ容易に言語で説明できない理由である。昔から私は、ピタゴラス音律・三分損益法の系列の音律に基づかないフレーズを聴くと興奮し、気持ち良くなる(ただしガムランは気持ち良くならない)。(1)(2)の理論武装は(3)の感覚レヴェルの問題からすればレヴェルが浅く、(3)の追求のためならいつ放棄しても良いような仮説的なものである。今回7平均律の有効性と限界を自分なりに見たつもりなので、今後は7平均律にとらわれず、複雑な周波数比の音程の持つ気持ち良さを追求していこうと思っている。
歌詞は私が7平均律の特徴(メジャーとマイナーの区別がない、音程の間隔が全て広い)に対して持っているイメージを書いたものであって、私の心境とかでは全くありません。
音源はiPadアプリのiELECTRIBEとソフトシンセのLinPlug Albino(このメーカーのソフトシンセのほとんどは.tunファイルで調律できるのでオクターヴ内部を14分割することもできる)とハードシンセのKORG X50に限定しました。普段アコースティックな音楽ばかり聴いている私がシンセばかりを使って曲を作るのは思っていたよりも難しかったです。まあ音色以前に、等間隔音階で曲を貫くと展開をつけにくいのでそこも難しく、1曲あたり2分半もたせるのがやっとでした。どちらも、テクノな人には簡単に克服できたポイントだったかもしれません。