なんかもうかなり

何もかもが割とどうでもよくなってる。
論理哲学論考を出版した直後のウィトゲンシュタインの気分」は一度やっぱりなっておくべきだったんだなと思ったというか、なってみたいとずっと思っててついになってみたらやっぱりなかなか面白い新世界だった。
今まで「いつ死んでもいい」状態になりたいって言ってたけどそれは正確ではなくて、正確には「いつ不本意なことで忙殺されてもいい」と言うべきなのかもしれない。いや、まだあまり正確でもない気はする。
この、文章のまとまらなさを見てると、どうも俺今脳内でいろいろなんというか組み替わっている最中の状態だなと窺われる。1ヶ月ぐらいしたら別人になってるかもしれない。