日本の伝統音楽の音階やリズムについての文献を2つ、近所の大学図書館で借りて読んだ。

上原六四郎『俗楽旋律考』(岩波文庫版1927年、脱稿1892年、1895年刊)
小泉文夫「日本音楽の基礎理論」(平凡社ライブラリー『日本の音』1994年所収、初出1974年)
『俗楽旋律考』(1895年)は俗楽、つまり当時の日本のポピュラー音楽(今日で言う純邦楽の大部分に当たるはずだ)を都節と田舎節に分類し、前者に使われる音階を陰旋、後者に使われる音階を陽旋と名づける。この本は未だ西洋の音楽用語が日本に根づいていなかった時代のものなので、だいたい日本の用語で記述されているのだが、西洋式の表記で書くならば、陰旋は下行形がi, bii, iv, v, bvi、上行形はbviの代わりにviと#viの中間の音が入る5音音階であって、陽旋は下行形がi, ii, iv, v vi、上行形はやはりviの代わりにviと#viの中間の音が入る5音音階であると言う。この本において重要なのは、彼が研究をまとめるまで日本の音階は西洋で言うフリジアン・スケールとロクリアン・スケールの2種類の7音音階から成ると考えられていたらしく、彼がそれを陰旋・陽旋の2つの5音音階のシンプルな体系にまとめ上げたことである。
『日本音楽の基礎理論』(1974年)は音階については民族音楽学上(日本に限らず)普遍的に用いられているテトラコルドの理論を用いて説明する。テトラコルドの理論は、完全4度の関係にある2つの核音とその間に置かれる中間音によって構成される音階の枠をテトラコルドと呼び、各種のテトラコルドの組み合わせによって音階を説明する理論である。小泉によると日本には4種のテトラコルドがある。日本のテトラコルドにおいて中間音は常に1音であり、するとその4種は機械的に導出できるのでここでは列挙しないことにする。中間音が短3度になるものと長3度になるものは上原が発見できなかったものであり、陰旋・陽旋の枠組みの外にある。それは「当時は未だ、わらべうたや民謡のオリジナルな資料も研究もなかったので」(311頁)と説明される。上原が独自概念を案出して非常にシンプルな体系にまとめたのに対して、小泉の説明は民族音楽学上普遍的な概念を用いてより広い対象を研究したせいかやや複雑に過ぎ理論としての面白みというか迫力に欠けるし、創作において参考にするにも即効性がない気がした。
俺としてはこの本の音階の説明で興味深かったのは「日本の旋律では隣あった二つの音からなる旋律では必ず上の音に終止する」「連続した三つの音からなる旋律では必ずまん中の音に終止する」という指摘だった。
この本では他にはリズム論が興味深かった。西洋の小節は「主として音の強弱の交替によって」(335頁)形成されるのに対して、「日本音楽の二拍子は必ずしも強弱の交替ではない」(335頁)。では「何が拍を区別し特徴づけているのだろうか」(336頁)、というのが「大きな問題」(336頁)であり、この本は具体例を挙げてやや細かく分析して見せるのだが、俺から見てあまり綺麗に理論化できていると思えないし、正直に言ってあまり理解もできなかったのでここに要約することはできない。とはいえ、ここで行われている具体的な分析が、ほとんどそのままボカロPのハチさんのメロディーの分析にもなりそうなことが興味深かった。wowakaさんのメロディーの分析にもなるかとも少し期待したが、wowakaさんのメロディーに対してはそれほど綺麗には当てはまりそうにない(それでも当てはまる部分は多いのだが、その程度は誰の曲にも結構あてはまる気がする)。そしてこの本の説明は http://d.hatena.ne.jp/knowsur/20110514/1305370248 (『粘膜の憂鬱』の歌詞と楽曲構造解説 - 日刊シュルる)において書いたボカロ高速曲のリズムの俺なりの説明と共通する部分がかなりあったように思う。この謂わば「日本的なメロディーとリズムの形成原理」については、この文献だけでは不十分に感じたし今日のボカロ曲にも通用する理論を探りたいので、もうしばらく考えていきたい。